新聞記事やTVのニュース番組
再び、メディアの報道内容について。
よく、新聞社やTVメディアは報道の自由を主張するが、
日常的に、放送されるニュースで悲惨な殺人事件が多い事に疑問を感じる。
特殊な事情の中で発生する悲惨な事件を、どうして広く一般の人達が知る必要があるのであろうか?
また、メディアでは当然のこととして悲惨な写真や映像は流れる事はない。その為文字や言葉で語られる状況はたんたんとしたものであるが、実際には悲惨きわまりない状況が発生している。
メディアの持つこの二面性により、
感受性の高い人々は、垂れ流しのメディアに接する事を避けるようになる。
やはり、一方的に流れる情報に接する事は時間の無駄である事を
あらためて実感している。
ジェームズスキナーさんが、言っている「TVも新聞も見ないし読まなくても困らない」まさにそのとおりと確信を持って言える。
googleはネット上のニュースを収集独自のレイアウトで紙面作りをしてしまう。各新聞社が見出しやレイアウトによる記事のメリハリは
そこには一切ない。同列に記事が並ぶだけで、そこには扱われる頻度だけである。
自分にとって必要な情報と、そうでない情報の選別が自然にできて
無駄に時間を使わなくなった。勝手に誘導される意識のブレも無くなってきているような感じがあります。
紙媒体としての新聞も、地デジ移行のTVもメディアとしては、
私にとってはもう必要ないかもしれない。