日々雑感

思いつくまま、気のむくまま

ニュース番組について

TVや新聞がマスメディアとしての社会的役割を

失いつつあります。

従来、当たり前のごとくニュースを流してきていますが、

最近、気になり始めた事。

殺人事件とか死体遺棄などを、事細かく報道することが

ありますが、そんな事は新聞記事にしたり、

お茶の間(こんな空間ばかりではありませんが)に

殺人事件の詳細報道が必要なのか?

当然の事として、悲惨な写真とか、実際の映像はカットした状態で

報道されます。

この当たり前の如く、流れる情報によって、人の感覚が変わって

きていなか?そんな素朴な疑問が湧いています。

インターネット上には、悲惨な状況写真や、映像が

流れる事があります。

TwitterとUstremの組み合わせで、ジャーナリストの方々の

対談等も当然放送されています。

その時、TV・新聞で触れられない、事件の悲惨さとか、

状況等が語られ、ニュースの核心に触れた驚きがありました。

雨後の竹の子のように、次から次へと殺人事件の報道が耐えませんが

それぞれの事件には、いろいろな事情と、普段日常で接する事の

無い異常な世界、精神状態がそこにはあります。

発生した事件に対して、感受性の鋭い方や、想像力の豊な方、

類似体験をした方は、とても耐えられない内容であろう事が

報道という仕事の範疇で、流れ作業の如く扱われています。

そんな報道は必要なのか?

人の心の荒廃は、本来であればとても大変な事なのに、

じっくりそれを受け止める事無く、表面的な情報、知識で

さも理解した、分かったかの如く処理されてしまう。

殺人事件、鉄道事故で、人身事故としての自殺事故、

戦争での殺人、他国で軍とか警察による弾圧等

悲惨な状況を、深く心で受け止める事ができない

浅い報道。

過去、マスコミが流して来た情報によって、

人はある感覚を失ってしまったような感じを持ちます。

その現場に立ち会う人は感じるであろう感覚を。