日々雑感

思いつくまま、気のむくまま

車は売れなくなって当然

世界同時不況によって、車の売れ行きが大きく落ち込み、

国内の製造業が困っている。

もともと、国内の自動車販売は不振で、自動車メーカーは海外の需要に支えられて、好況を保っていた。

トヨタのレクサス化の崩壊」とも言うべき、

全国に、レクサスブランド宜しく、高級車の販売チャンネルを展開したが、地方都市に、東京の銀座感覚を持ち込むようなもので、

遙か昔、なにない銀座と言われる商店街があったが、

たかが、車なんですよ。

若者の車離れが顕著で、車が売れないと言われるが、

ほんとうに、「たかが車なんです」。

便利ではあっても、車があこがれの象徴でもないし、

車を所有する事で、自分が変わる訳ではない。

若者が賢くなっただけです。

もっと興味のあるもの、楽しいものが出来ているのです。

車文化が成熟しているだけの事です。

昔の、馬やらくだの代わりの移動手段ですから。

移動する事が必要な時期、時代と、今のネット社会では、

移動しなくても、情報の入手や、物品の購入が可能になった。

移動の楽しさより、パソコンを通して得られる、

知的好奇心や、知的刺激の方が楽しい、楽しむ事を

知ったのです。

パソコンが共通規格によって、どんどん安くなって高機能になっているのに、自動車はいっこうに安くならない。

30年も40年も前であれば、モデルチェンジ毎に、

新しい機能、新しい技術が盛り込まれて、ひとつひとつ未完成なものが完成していく喜びも、楽しみもあった。

成熟した技術のなかではわくわくするような情報も発信されない

完成度はより高まっているのですが、わくわくするものがない、

特定分野の技術が進むと、さらなる進歩が分かりにくい、

さらなる進歩が見えなくなってくるのでしょう。

パソコンも道具として当たり前のものになって、

ハードのわくわく感がなくなってしまうと、後は価格だけになる。

自動車業界も、日本国内では既に、共通規格によって

安価に提供できるはずなのに、利益をむさぼる体質があって

「たかが車」の認識になっているのに、価格が下がらない、

陳腐化するデザインで買い換え需要をあてにする。

ヨーロッパ車は、国民の消費者マインドがもっとしっかりしているので、日本の小手先のマーケティングで意味のないモデルチェンジや、陳腐化の早いデザインには飛びつかない。

税金の固まりのような自動車に向けるお金がもったいない。

若者の健全な考えだと思います。

車がステータスだと思っている人が、商売対象でしょうか。

もう自動車産業が中心の時代は終わりつつある事を認識するか

「たかが車」との認識で商品開発をしていただきたい。