日々雑感

思いつくまま、気のむくまま

今、ネットワークがすごい事になりつつある

大袈裟な表現ですが、個人主権がやっと確立されるインフラが

整ってきた、今日この頃ですが皆様いかがおすごしでしょうか?

(きっこさん風に)

以前、経済セミナーで講師の、神戸 孝さんが、講演された内容に

痛く感激してその後、いろいろセミナー開催等をした私としましては

社会組織の構成要素として、国家、企業、個人の位置関係の推移が

今日のネットインフラによって現実のものになりつつあることに

ある種感慨を持って最近思いを巡らせています。

神戸 孝さんが当時講演された内容は

要約すると、以下のような内容です。

    戦前   戦後  バブル崩壊以後

1   国    企業   個人

2   企業   国    企業

3   個人   個人    国   

社会を構成する3要素に分類した時に、

その時代、男が出世するという事はどういう事か?

言葉を変えれば、社会的に評価される為にはという

視点から考えて、

■戦前は、

国の為にと国に一番近いところにいることが

評価され、末は博士か大臣かと表現されたように、

出世の頂点がそこにあった。

■戦後は、

今の中国のように右から上がりに、経済発展を遂げて

企業はどんどん大きくなり、民間の給与も毎年昇級していった

東大を卒業しても、民間企業に就職した友人の方が、給与は多かった

自分が世の中で出世したい、成功者と言われたいと思って、

選んだ人生が、劣ると思っていた民間企業の方が、給与は多い、

仕事も面白そう、人生の方向性の選択で失敗してしまった。

そんなはずはと、官僚が民間企業に就職していった

友人に負けたくないと、勝手に自分達の価値を高めるべく、

いろいろな仕組み自分達の為に作った。

それが今問題になっている、特殊法人であったり天下りのシステムで

あったりする。

バブル崩壊

個人が大切に扱われるようになり、

上場企業の不祥事に、企業のトップ役員が直々に

謝罪に、個人宅を訪れるという、時代になった。

企業も成長が止まり、不良債権の処理に追われる中、

企業の成長と伴に、自分の人生も設計できるという時代が

終わった。

会社の寿命が、個人の人生設計と同一でなくなった。

人の寿命も延びた事により、定年後20年近く社会生活を

送る事になる。

その時、第二の人生設計が必要となる。